私と近沢レース店 Vol.009「『この人のために書きたい』という気持ちが私のモチベーションになっています」——劇作家 根本宗子様
- 私と近沢レース店
- 2023.12.07.
みなさま、こんにちは。オンラインショップスタッフのひとみです。
前回公開いたしましたお客様インタビューでは、多くのご反響を頂戴し、ありがとうございました。まだご覧になっていらっしゃらない方は、宜しければご覧くださいませ。
本日は、近沢レース店をご愛顧いただいております劇作家、演出家、小説家としてマルチにご活躍される根本宗子さまとご縁があり、貴重なお時間を頂戴しインタビューさせていただきました。
——いつもご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。改めまして、自己紹介をお願いいたします。
はじめまして。根本 宗子(ねもと しゅうこ)と申します。19歳で劇団『月刊「根本宗子」』を旗揚げし、それから公演の脚本・演出などを手掛けております。
もともとレースが好きでしたので、お話をいただけて嬉しく思っております。
——劇作家になられたきっかけを教えてください。
幼少期はスキーに熱中し、モーグルの里谷多英選手に憧れていました。ですが、中学一年生の時に運動会で転倒してしまい、外傷性大腿骨頭壊死症を患い、何年か車椅子生活を経験しました。いま思い返すと壮絶な期間だったのですが、母がいい意味でそれまでと変わらず普通に接してくれたことにとても感謝しています。
それから紆余曲折ありましたが、松尾スズキさんが手掛ける大人計画の「ニンゲン御破算」という演目に出会いました。そこから松尾さんの演劇にのめり込むのですが、松尾さんの作品の中ではいろいろな人間がいることが普通、という風にマイノリティ側が特別なものとして描かれていなくて、そこにすごく救われました。そこから演劇の世界にのめり込み、高校時代は年間100本以上観劇しました。
本当は役者に興味があったのですが、足のことがあったので、自分で劇作をすれば自分に無理な役は書かないなという気持ちから作家をはじめ、そこから書くことへの興味が増していきました。
——舞台をつくりあげるというのは、ものすごく大変な作業なのではないでしょうか。
そうですね。私はなるべく俳優さんに会ってからセリフを書くようにしています。どんな喋り方をするのか、どういうことでテンションが上がるのかなどを知ってから書くことで、物語の中できちんと躍動した人物にすることができています。
携わってくれる俳優、スタッフに、こういう舞台を作りたいと、オーダーしてかたちにしていきます。例えば、先日の『くるみ割り人形外伝』では、子どもたちにも分かりやすい「キャラクター感」が伝わるようにビジュアルにこだわり、大人も子どもも楽しめる舞台を目指しました。
舞台衣裳も毎回細かく打ち合わせを重ねていくのですが、どんなに大きな演目でも衣裳ってひとつしかないんですよね。破れてしまったらその都度、衣裳さんが直してくださります。早着替えのためにはボタンはこうしようとか、レースにしたいけど繊細すぎると耐久性がないから伸びるレースを使ってみたりとか、毎度試行錯誤しています。
——むかしからレースはお好きでしたか?
はい。見た目が可愛い洋服を選んでいたら、レースだったという感じですね。幼少期は母の趣味でネイビーとか、青とかのお洋服が多く、あまり女の子っぽい洋服を着せてもらえなかったのです。
その反動というか(笑)。自分でお洋服を買えるようになってからは、古着やロリータファッションとかも着ていました。いまでも私服にその名残があるので、スタイリストさんが用意してくださる衣装もレースが多かったりします。私の好きなブランドtanakadaisuke(タナカダイスケ)もレースや刺繍がふんだんに用いられていて本当に毎シーズン美しくてため息ものです。
あ、そうそう。刺繍も好きで、趣味を聞かれたら「刺繍」と答えるかもしれません。本当にお見せできるような作品じゃなく、単に趣味って感じですけれど(笑)
刺繍とか、編み物って女優さんの中で流行ったりすることがあるんですよ。出番の待ち時間が長い時などに、刺繍とか編み物がちょうどいいのでしょうね。
私は書くことが仕事なので、いつも頭の中で何かを考えてしまうのですが、「考えない時間」をつくるために、集中して没頭できる刺繍が好きなんですよね。本を買ってそのとおりに刺繍する方もいらっしゃいますが、私は浮かんだものを、自由に刺繍するほうがあっていて。少しくらいゆがんでも味があると思っています。
——ずっと書き続けられるモチベーションを教えてください。
「この人のために書きたい」という気持ちが私のモチベーションだと思います。今年やった舞台の話になりますが、5年ほど前から高畑充希さんにお声がけいただいていたのですが、その頃はまだ自分の技量が追い付けていないと思っていて。本当に素晴らしい役者さんなので、当時すぐにご一緒してしまっていたら、私が助けてもらうばかりになってしまうなと思って。
「私にしか書けない高畑さんを!」という思いも強かったので、もう少し待ってくださいとお願いして時間をいただきました。今年ようやく、『宝飾時計』という舞台でかたちにすることが出来、むかしから大ファンだった椎名林檎さんからも楽曲提供していただけたのも言葉では言い表せぬ喜びがありました。ご縁に感謝です。
芸術って、自分ではすごく満足できるものが仕上がったとしても、お客様の評価はそうでなかったり。逆に、お客様からご評価いただいても、自分ではもっとこうすれば良かったとモヤっとすることもあって難しい。
でも結局は自分が納得できるかだと思っているので、がむしゃらに書き続けた20代の頃とは違って、30代のいまは少しペースを落としながら書くことを続けています。私自身が「書くことを楽しむこと」を大切にしています。
——これから書いていきたい、目指したいイメージを教えてください。
手掛けていきたいのはミュージカルですね。いま、日本はアニメや漫画が原作の舞台が多く、ミュージカルのために書かれたオリジナル作品って本当に少ないんですよ。
外国だと、音楽アーティストが楽曲を提供したりして、舞台が好きな方も、音楽が好きな方も同時に盛り上がれるような演目も多くて。なので、私は普段ミュージカルをやらないアーティストと組んで、ミュージカルを作ることを今後もやっていきたいなと思っています。
——常に進化し続け、新しいかたちでの演劇を表現してくださる根本さま。来年はどのような活動をなさっていくのでしょうか。
私はロンドンの舞台が好きなので、来年は久しぶりにロンドンへ行こうと思っています。コロナ以降海外の新作が観られていないので、色々なものを吸収しに行きたいです。
そして来年は劇団『月刊「根本宗子」』を立ち上げて15周年になります。毎年グッズを作ったりしているのですが…いつか近沢レース店さんとコラボグッズとか作れたらいいなと思っています。お米が降り注ぐビジュアルを作ったりするほどお米が好きなので、もし出来たらお米のグッズがいいかなぁ(笑)。
——どうもありがとうございました。これからも、ますますのご活躍を陰ながら応援しております。
プロフィール
根本 宗子(ねもと しゅうこ)
1989年東京生まれ。
19歳で劇団、月刊「根本宗子」を旗揚げ。
以降劇団公演全ての作・演出を手がける他に、様々なプロデュース公演の作・演出も担当。
2016年から4度に渡り、岸田國士戯曲賞の最終候補作へ選出され、近年では清竜人、チャラン・ポ・ランタン、など様々なアーティストとタッグを組み完全オリジナルの音楽劇も積極的に生み出している。
2022年には第25回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門 新人賞を受賞し、自身初となる小説『今、出来る、精一杯。』が刊行され、原作・脚本を担当した映画『もっと超越した所へ。』が公開された。
常に演劇での新しい仕掛けを考える予測不能な劇作家。