四百年のレースを読み解く女性と、創業120余年の老舗が紡いだ15年——ダイアン・クライス × 近澤 匡祐
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- 2026.05.19.
ベルギー王国・アントワープ出身のアンティークレース鑑定家、ダイアン・クライス氏。
世界でも有数のコレクションをお持ちで、その鑑識眼と語り部としての才で、日本のレース愛好家を魅了し続けてきた方です。
ダイアン氏と近沢レース店との出会いから、15年以上が経ちました。アンティークレースジュエリーの取り扱い、講演会、レースリーディング、アンティークレース展。
これまでに、たくさんの仕事が、そして物語が行き来してきました。
今回、当社社長の近澤 匡祐とダイアン氏の対談が実現。その様子をご紹介していきます。
迎えた当日、テーブルには、ダイアンさんがこの日のために運んでくださった貴重なアンティークレースの数々が並びます。和やかな空気のなか、対談はゆっくりと始まりました。
出会いは、ベルギー・ブルージュのちいさな店先から
――今日はよろしくお願いいたします。まずは、お二人の出会いからお聞かせください。ダイアンさんと社長は、もともと長いご縁があったのでしょうか。
近澤:いえ、そういうわけではないのです。
きっかけは、当時、企画責任者をしていた弟の近澤 柳(現・営業本部長)がブルージュを訪れた際に、偶然ダイアンさんのお店を見つけたことでした。
ブルージュ(Brugge)は、ベルギー北部、フランドル地方にある古都です。
中世の街並みがそのまま残された、世界遺産にも登録されている美しい街。そして何より、ヨーロッパでも指折りの「レースの街」として知られた場所なのです。
ダイアンさんのご出身はアントワープなのですが、レースのお店を構えられたのが、このブルージュでした。
そこに並んでいたアンティークレースジュエリーを見て、「ぜひ、うちでも取り扱えないか」と。問い合わせをしましたら、「オーナーがどうやら日本にいるらしい」と。
「日本に?しかも中目黒に」ということで、マネジメントをされていた方が間に立ってくださって、ダイアンさんをご紹介いただいたのです。
当時、2008年ごろ。私は入社してまだ1年目。先に入社していた弟が見つけてきたお店のオーナーが、まさか日本に、それもご近所と言ってもいい場所にいらっしゃるなんて。
弟が半信半疑でご連絡を差し上げていたのを、いまもよく覚えています。いま思い返しても、不思議なご縁でした。
――その頃、ダイアンさんはすでに日本にいらしたのですね。
ダイアン氏:はい、そうなんです。日本に来たのは、2005年の愛知万博の少し前でした。
万博のベルギー館のプロモーターを務めて、それから展示会にも参加しており、大使館とのつながりもありました。
日本という国に魅せられて
――そこから日本へ。住もうと決められた理由は。
ダイアン氏:ベルギーのお店には日本人のお客様も多くて、皆さん「日本に来てください、素敵な国ですよ」とおっしゃってくださって。30年ほど前に、初めて日本を訪れました。
それからいままでで、日本もずいぶん変わりましたね。当時は、訪れてすぐにわかったんです。ここに住みたい、と。文化が豊かで、日本の方は何でも面白がる、何でも知りたがる。そこがすごく素晴らしいと思いました。
レースは、ベルギーだけのものではなくて、世界中の歴史を映すもの。日本の方々にも、きっと伝わるはずだと感じたのです。
――その直感が、今のダイアンさんの活動につながっていくのですね。
ダイアン氏:そうですね。ご縁があって、近沢レース店さんとお仕事をさせていただくようになって。気づけば、もう15年以上経ちました。
共に歩んできた、15年
――出会いから、15、6年。これまでお二人で重ねてこられたお仕事を、振り返っていただけますか。
近澤:最初は、ダイアンさんのアンティークレースジュエリーを近沢レース店でお取り扱いさせていただいたこと。
続いて、当店主催の講演会をお願いしました。ホテルニューグランドで、前社長と一緒に登壇していただいたのが最初です。
その打ち合わせをしながら、ダイアンさんからレースのレクチャーをじっくり受けました。教えていただいた歴史を私が時系列にまとめて、ご確認いただいたり。
当時、ダイアンさんは中目黒にお住まいでしたから、お邪魔して、貴重なレースを見せていただくこともよくありました。
――そこから、お仕事の幅が広がっていったのですね。

近澤:カタログハウスさんから「ダイアンさんのアンティークレースジュエリーをオリジナルで作りたい」というお話をいただいたり。
現在はお休みしていますが、当店2階で「レースリーディング」を定期開催していただいたこともありました。
何より大きいのは、ほとんどダイアンさんご自身でおやりになったことですが、産経新聞さんと組ませていただいて、アンティークレース展を実現できたことです。京都の伊勢丹、横浜そごう美術館でも展示をさせていただきました。
売り場でご講演いただいて、その場で販売も。「ダイアンさんのブローチフェア」と銘打って一週間スペースを広げたり。
各地の店長がご案内したり。たくさんのお客様に、ダイアンさんのお仕事に触れていただく機会を作ることができました。
――関西や京都のほうにも、足を運ばれたのですね。
近澤:はい。京都へ行ったときには、当時の京都店の店長と一緒に、ダイアンさんをご案内したのです。先斗町のあたりも歩きましたね。
そういう、不思議なご縁が、ダイアンさんとのお仕事のなかで、いくつも重なるのです。叙事詩のように、レースを語る
――社長にとって、ダイアンさんから受けた影響はどのようなものでしたか。
近澤:お話を伺うなかで、印象に残っていることがありすぎて、絞れないのですが・・・
最初は、ダイアンさんが世界的なレースの専門家でいらっしゃるというバックグラウンドから、私も学問として、体系として知りたい、と思っていたのです。お客様にご紹介するときの切り口を、自分のなかに持ちたかった。
ところが、ダイアンさんのレースの話は、歴史でも学問でもない。レースにまつわる物語の連続でした。整理しようといろいろ試みましたが、すべてに背景と物語があって、それぞれの時代やテクニック、エピソードが繋がっている。
叙事詩のような捉え方を、ダイアンさんはされている。それを理解できたとき、「ああ、本当に深い世界なのだな」と。
――鑑定家としてだけでなく、語り部として。
近澤:そうなのです。最初は「レース屋として、レースの歴史をきちんと知ろう」というアプローチでした。
けれど物語を聞くうちに、「これは単に、糸で構成された透かし模様の織物が16世紀に始まりました、というような話ではないのだ」と気づいたのです。
誰がどんな思いで使っていたのか、そこまで含めての、深さ。
ダイアンさんとお仕事をご一緒するなかで、自分のなかのレースの捉え方が、すっかり変わっていきました。
ダイアン氏:近澤さんは、本当によく聞いてくださいますからね。
近澤:いえ、こちらこそ、いつも貴重な時間を頂戴してありがとうございます。
尽きることのない、新しいレースとの出会い
――今日のお話を伺って、あらためてダイアンさんのコレクションを拝見されたご感想は。
近澤:ダイアンさんのお家に打ち合わせに伺うたびに、新しいレースが出てくるのです。
「また出てきたのよ」と、そんなやり取りを、これまで何度繰り返したことか。
そしてあらためてコレクションを拝見して、「すごい」の一言以外、出てきません。ダイアンさんのコレクションは、レースだけではなく、その周辺まで、すべて。
レースを織る道具までコレクションされている。レースのコレクターというよりも、レースにまつわる「すべて」を集めていらっしゃる。
ダイアンさんとお会いするたびに、毎回、同じ感動があります。今日もまた、新しいレースとの出会いがありました。
――ダイアンさんから見た、近沢レース店との15年は、どのようなものでしょうか。
ダイアン氏:ありがたいご縁です。私が日本でこうして仕事を続けてこられたのも、近沢レース店さんとのお仕事があったから。
お客様にレースの物語を伝える場を、いつも作ってくださいます。
レースは、ひとりでは伝わらないのです。誰かが、それをお客様に届ける橋を架けてくれて、はじめて物語が広がっていく。
近沢レース店さんは、私にとって、その大切な橋なのです。
最後に
ダイアン氏が日本で見せてきたものは、レースという織物だけではありません。
糸の一本一本に編み込まれた、何百年分もの物語、人の野心、悲しみ、祈り・・・そのすべてです。
それらの物語を、日本の方々のもとへと届けるために、ダイアン氏と当店は15年以上、ともに歩んでまいりました。
次回は、この日ダイアンさんが近澤社長へと持ってきてくださった、特別なプレゼントの数々をご紹介します。
そして以降、ダイアンさんが語ってくださったアンティークレースの世界を、ハンカチの歴史を皮切りに、連載のかたちで少しずつお届けしてまいります。どうぞお楽しみに。