横浜の洋食文化を辿る。ナポリタンやドリアを生んだ港町
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- 2026.01.16.
喫茶店のテーブルに運ばれてくる、赤いナポリタン。湯気がふんわり立つライスカレー。お皿の端に添えられたブロッコリー。
元町の通りを歩いていると、そんな洋食の風景が、いまもすぐそばにあることに気づきます。老舗の店先や、長く続く喫茶店。そして、近沢レース店が店を構えるこの街には、時間を重ねながら受け継がれてきた日常のかたちが残っています。
横浜という街は、日本における洋食の入口でした。港が開かれ、西洋の文化が流れ込み、その中で料理もまた、少しずつ姿を変えながら、この街に根づいていきます。
ナポリタンは、イタリアにはありません。ライスカレーも、日本で生まれた洋食です。ピザもまた、横浜ではアメリカ文化とともに親しまれ、いつのまにか、私たちの食卓の風景になっていきました。
最近では、昭和レトロや純喫茶という言葉とともに、洋食についても、あらためて注目が集まっています。
今回は、元町という街並みとともに息づいてきた、横浜と洋食文化の歩みをたどりながら、この街で愛され続けてきた洋食たちをご紹介します。
開港の街・横浜が「洋食の入口」になった理由
横浜が港町として歩みはじめたのは、1859年のことでした。海外との貿易を行う港として開かれたこの街には、多くの外国人が生活の拠点を置き、居留地やホテル、レストランが整えられていきます。
横浜は、西洋の文化や料理が一時的に持ち込まれた場所ではなく、日常として根づいていく環境が早くから整っていた街でした。
当時、日本の人々にとって、西洋の料理はまだ見慣れない存在でした。ナイフとフォーク、バターの香り、肉を主役にした料理。どれもが新鮮で、距離のあるものであったはずです。 けれど、外国人居留地やホテル、レストランを通じて、西洋料理は少しずつ日本人の暮らしに馴染んでいきます。
横浜では、外国人のために西洋料理を用意する必要があり、日本人の料理人たちは、実際にその料理と向き合うことになります。そこで重ねられたのが、本場の味を再現することよりも、どうすれば日本人もおいしく食べられるかという工夫でした。
味つけを和らげたり、ごはんと合わせたり、親しみのある食材を添えたり。そうして生まれたのが、「洋食」という、日本ならではの料理でした。
横浜で育まれた洋食文化には、寄り添うという言葉がよく似合います。この街が育ててきた洋食には長く続く理由があり、いまも変わらず街で暮らす人々に愛されています。
横浜とゆかりの深い洋食たち
横浜の街を歩いていると、いたるところに昔ながらの洋食屋が目に入ります。洋食は特別なものではなく、ごく自然に日常の中にあることに気づかされます。
港町としてさまざまな文化を受け入れてきたこの街では、洋食もまた、ひとつの形に定まることなく、少しずつ姿を変えながら暮らしに根づいてきました。
ここでは、横浜と深い関わりを持つ料理をいくつかご紹介します。どれも時代を越えて親しまれてきた、この街らしい味わいです。
横浜生まれの喫茶店の定番「ナポリタン」

ナポリタンは横浜で生まれた料理として知られています。名前からは、イタリアの風景を思い浮かべてしまいますが、この料理は、日本・横浜の地で生まれました。
戦後の横浜には、海外の文化や食材が再び流れ込んできました。ホテルやレストランでは、外国人客に向けた料理が用意される一方で、日本人の料理人たちは、限られた食材の中で工夫を重ねていきます。
その中で生まれたのが、ケチャップで味つけをしたスパゲッティでした。
トマトソースの代わりに、当時手に入りやすかったケチャップを使い、玉ねぎやピーマン、ソーセージを加える。酸味と甘みのバランスを整えながら、日本人の舌になじむ味わいへと仕上げていきました。
ナポリタンは、本場のパスタを再現しようとした料理ではありません。日本人が食べやすく、毎日でも食べ続けたくなるような味の工夫により誕生した一皿でした。
やがてナポリタンは、喫茶店の定番メニューとして広がっていきます。特別な料理ではないけれど、いつもの席で、いつもの味に出会える安心感。その存在は、多くの人の食の記憶と結びついていきました。
最近では、昭和レトロや純喫茶という言葉とともに、ナポリタンがあらためて注目されています。それは決して新しく生まれ変わったからではなく、ずっとそこにあり続けた味に、もう一度目が向けられているからなのかもしれません。
特別な日に選ばれてきた洋食「ドリア」

ドリアは、ごはんにホワイトソースをかけ、オーブンで焼き上げた洋食です。彩にはブロッコリーを添え、一見すると、どこか家庭的にも感じられますが、その背景には横浜ならではの洋食文化がありました。
西洋料理が日本に伝わった当初、乳製品やオーブンを使った料理はまだ特別な存在でした。そうした要素を、ごはんと組み合わせることで、日本人の味覚に寄り添う一皿が生まれます。
ホワイトソースのやさしい味わいと、焼き上げたときの香ばしさ。どこか落ち着きがあり、ゆっくりと味わいたくなる料理です。 ドリアは日常の食卓というよりも、外で食べる洋食として親しまれてきました。記念日や、少し背伸びをした外食の時間。そんな場面で選ばれることの多い一皿だったのです。
洋食として親しまれてきた「ライスカレー」

いわゆる「カレーライス」のことですが、家庭で食べられるようなカレーライスとは捉え方が少し異なります。戦前から戦後にかけては「ライスカレー」という呼び方が広く使われ、洋食店やホテルの定番メニューでした。
カレーが日本に伝わったのは、明治時代。もともとインドのカレー料理はイギリスを通じて伝わり、ライスとカレーを別々に盛るスタイルが最初の形でした。 当時は食材や香辛料が高価であったことから、洋食店でしか味わえない高級料理でもありました。
昭和の初期には、ライスカレーはごはんにカレーソースをかける形式で提供されることが多く、お客さまが自分でごはんとルウを混ぜながら味わうスタイルもありました。
その後、家庭で食べられるような一般的なカレーとして「カレーライス」という呼び方が定着していきますが、ライスカレーはまさに洋食として親しまれていた時代の名残です。
横浜では、洋食店やホテルで提供されたライスカレーが、洋食の入口として、カレーという外国料理を日本の生活に自然に溶け込ませました。 家庭でも学校給食でも食べられるようになった後も、洋食屋で味わうライスカレーは、外食としての一種の特別感を保っていたのです。
横浜の街に溶け込んだ「アメリカンフード」

横浜の洋食文化を語るうえで、アメリカの影響も欠かせません。 戦後、米軍文化とともに伝わったハンバーガーやピザ、ミルクシェイクといった食のスタイルは、気取らず楽しめる食事として新しい食事スタイルをもたらしました。
ピザは、イタリア料理でありながら、横浜ではアメリカ文化の一部として親しまれてきました。家族や仲間と分け合って食べるスタイルは、港町らしい開放的な空気によくなじみます。 プレートの端に添えられたブロッコリーやサラダといった何気ない付け合わせも、洋食らしいスタイルとして当たり前の存在になりました。
外からやってきたものが、自然と日常の風景になる。そこにも、横浜らしい文化の受け入れ方がみえてきます。アメリカンフードは、 洋食の幅をぐっと広げながら、 この街の食文化に新しい表情を添え続けてきたのです。
横浜の洋食文化を支えてきた「ホテルニューグランド」
横浜の洋食文化を語るとき、ひとつの場所が、たびたび名前に挙がります。それが、「ホテルニューグランド」です。
1920年代、港町・横浜に誕生したこのホテルは、外国人客を迎えるための施設として建てられました。当時の日本において、本格的な西洋料理を提供する場所はまだ限られており、 ホテルのダイニングは洋食文化の受け皿として大きな役割を担っていました。
ホテルニューグランドでは、西洋料理に対し、日本人の味覚や食習慣に合わせた工夫が重ねられています。その過程で生まれたのが、ドリアやナポリタン、プリンアラモードといった料理でした。
いずれも、当時としては珍しかった乳製品やオーブンを使いながら、ごはんや身近な食材と組み合わせることで、日本人にとって親しみやすい形に整えられていきます。洋食が特別な外国料理から、外で楽しむ食事へと変わっていく流れの中に、こうした料理がありました。
また、ホテルという場所柄、記念日や会食、特別な外出の場として利用されることも多く、 そこで提供された料理は人々の記憶と結びつきながら広がっていきます。 横浜を訪れた人が持ち帰った食の体験は、やがて街の外へも伝わっていきました。
横浜の洋食文化は、ひとつの店やひとつの料理によって形づくられたものではありません。けれど、ホテルニューグランドという存在が、その流れの中で重要な役割を果たしてきたことは、事実として、いまも語り継がれています。
再注目されている洋食や喫茶文化
近年、ナポリタンやドリアといった洋食、そして喫茶店という存在が、世代を越えて注目を集めています。 街の喫茶店が紹介されたり、昔ながらの洋食が話題になったり。そんな光景を目にする機会が、少し増えたと感じる方も多いのではないでしょうか。
その背景には、昭和や平成初期の文化を見直す動きに加えて、SNSを通じて体験を共有する楽しみ方や「推し活」に代表される、自分なりの楽しみを大切にする感覚の広がりがあります。
洋食や喫茶店は、味や見た目、空間の雰囲気がある程度イメージしやすい存在です。 赤いナポリタン、銀のお皿に盛られたカレー、落ち着いた照明の店内。写真や言葉にしたとき、どんな時間だったかが伝わりやすいことも、今の情報環境と相性のよい理由のひとつでしょう。
また、喫茶店や洋食店は、店内の雰囲気やメニューなどの決まった様式があるからこそ、誕生日を祝ったり、好きなものに思いを重ねたりと、それぞれの楽しみ方を添えやすいのかもしれません。
洋食や喫茶文化は、懐かしさだけで語られる存在ではなくなりつつあります。そして横浜は、洋食や喫茶の風景が途切れることなく続いてきた街でもあります。 流行として後から取り入れられたのではなく、日常の中で積み重ねられてきた時間がある。だからこそ、いまの再評価とも自然につながっているのかもしれません。
まとめ
横浜で愛されている洋食は、異国から伝わった味を、自分たちの暮らしに合う姿へと変えていく積み重ねの中で育まれてきました。 時代が変わり、食の選択肢が増えたいまでも洋食が選ばれているのは、変わらずそこにあり続けてきた安心感があるからかもしれません。
港町として多くの文化を受け入れてきた横浜では、料理もまた、暮らしの中で自然と受け継がれてきました。洋食は、横浜の暮らしや風景の中でこれからも変わらず、日常のそばにあり続けていくでしょう。
