マリー・アントワネットの肖像画から紐解く16世紀フランス貴族のファッション

マリー・アントワネットの肖像画から紐解く当時のファッション

マリー・アントワネットの一般的なイメージというと、わがままで好き勝手していて、贅沢三昧だったというイメージがあるかもしれません。

一方で、宮廷生活の中ではファッションリーダーとして周囲に注目されていたことが、数々の文献に残されています。
そして、彼女のさまざまなファッションは、多くの肖像画にも残されています。華やかなドレスやレース、帽子、刺繍…当時の宮廷生活の豪華絢爛さを感じ取ることができます。

今回は彼女の肖像画を用いて、当時のファッションについて迫りたいと思います。

マリー・アントワネットについて

マリー・アントワネットは、オーストリアの女帝 マリア・テレジアの末娘として生まれ、14歳の時にオーストリアとフランスの外交政策によりフランス国王 ルイ16世の元へ嫁ぎます。
彼女の若さゆえのみずみずしさや、陶器のように白く美しい肌は、瞬く間にフランスの民衆を虜にします。しかし、彼女の自由奔放な振る舞いや、豪勢な生活ぶりは宮廷を中心に、次第に非難されるところとなります。

その後、フランス革命がはじまると、マリー・アントワネット含む家族は幽閉され、離れ離れに。1793年にマリー・アントワネットは死刑判決を受け、処刑されるのです。

彼女の数奇な人生は世界史の中にも大きな印象を残し、その後、世界中の人々が彼女に夢中になります。マリー・アントワネットをテーマにした書籍や映画など、さまざまなコンテンツが今なお発信され続けています。

マリー・アントワネットの肖像画から紐解く16世紀フランス貴族のファッション

マリー・アントワネットの肖像画から紐解く当時のファッション
画像出典:エリザベス=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン 「バラを持つ」マリー・アントワネット(1783)
ヴェルサイユ宮殿 © Jean Feuillie / Centre des monuments nationaux

こちらの肖像画は、マリー・アントワネットの数ある肖像画の中でも有名な作品のひとつ。ヴィジェ・ルブランによって描かれました。彼女は、マリー・アントワネットお気に入りの宮廷画家で、他にも数多くの肖像画が彼女によって描かれています。

ドレス

当時のドレスは、ロココと呼ばれる様式が流行っていました。ロココは繊細で複雑な模様や、華やかなデザインが特徴。優雅で美しく、華やかな当時の宮廷女性たちの文化や価値観を象徴とするものとなりました。

マリー・アントワネットは、毎朝、衣装見本帳の中から異なるドレスを選ぶ必要があり、朝起きてからドレスに着替えるまでにはかなりの時間を要したといわれています。

彼女の衣装には衣装係、リネン屋、仕立て師、レース職人、リボン屋、ボタン屋、刺繍職人などあらゆる服飾職人が関わっていたとされています。
マリー・アントワネットが活躍していた頃は、産業革命が起こる前の時代ですから、当然ドレスの型からレースやリボンの装飾まで、すべて職人たちがひとつひとつオーダーメイドで作っていたと考えられます。

多くの職人の手によって作り上げられていると考えると、この肖像画のドレスの高貴さをより感じますね。

マリー・アントワネットのファッションというと、ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
劇中の登場人物たちが身に纏う衣装は、現代的でありながらも当時のロココを意識したデザインになっており、当時の宮廷文化を感じることができます。

羽飾り

肖像画でも印象的な羽飾り。帽子の上から大ぶりの羽飾りがしなだれ、上品な雰囲気を演出しています。
当時、男女問わず羽飾りは装飾用の重要なアイテムとされていました。帽子の上に乗せるだけでなく、あらゆる衣服の装飾に使われていたことが当時の貴族の文献や肖像画から見られます。

この肖像画ではシンプルに帽子の上に羽飾りを乗せていますが、中には羽飾りを用いて、花やリボンを作り、派手な装飾にしていることもあったようです。

リボン

胸元に飾られた大ぶりのリボンがかわいらしいですね。
マリー・アントワネットは、ヴェルサイユ宮殿で開かれたある音楽会に出席した際、真っ赤なリボンをかつらに巻き、フランス国旗を表すトリコロール色のリボンを添えた姿で登場したとされています。すると、たちまちその姿は噂となり、翌日から多くの女性が真似をするようになったのだとか。

リボンは、結び目のある見た目から、大切なものをしまう、絆を結ぶという意味が込められていたとされ、愛する人への贈り物としても重宝されていました。

リボンはレースに比べ比較的安価に手に入れることができたため、服飾の小物として多くの人がドレスや帽子の装飾として取り入れていたとされています。

レース

襟や袖口、裾など、ドレスにふんだんに使われているのがレースですね。肖像画の中でも非常に印象的に描かれています。

レースは18世紀当時、マリー・アントワネットがフランスへ嫁ぐ以前にファッションリーダーとして注目を集めていたポンパドール夫人によって、その人気を不動のものとしたとされています。
上品さと華やかさを織り交ぜ、趣向を凝らした彼女のレースは、貴婦人たちの垂涎の的であったのだそう。

マリー・アントワネットも数多くのレースを所持していたとされています。彼女の白い肌を引き立てるレースを好み、さまざまなファッションに取り入れて楽しんでいたそうです。

ヴァランシエンヌレース
ヴァランシエンヌレース(所蔵者:Diane Claeys)

彼女に由来するレースとして、こちらのヴァランシエンヌレースがあります。

ヴァランシエンヌレースは連続ボビンレースで仕上げられています。フランス革命後、ヴァランシエンヌレースのほとんどのレースメーカーたちがベルギーへ移り住み、都市部、郊外、修道院などで製作を続けました。
ブルージュはヴァランシエンヌレースの輸出で有名でした。

ファッションリーダーとして牽引していたマリー・アントワネットですが、国の財政難の影響や、彼女の趣味嗜好の変化もあり、晩年は真っ白なコットンドレスを着用するなど、徐々にレースを身につける機会がなくなっていったとされています。

間もなくフランス革命が起き、彼女は悲壮な最期を迎えます。レース職人たちの多くは、新天地を求めてネーデルランド南部(現在のベルギー)に移住したといわれています。

マリー・アントワネットとレースハンカチ

当時、白いレースハンカチは高貴なものとされ、貴族の間では富や権力を象徴するアイテムとして重宝されていました。
マリー・アントワネットのファッションへのこだわりは並大抵のものではなく、特に繊細で華やかなレースハンカチを愛用していたとされています。

当時は様々な形のハンカチがありましたが、マリー・アントワネットは自分だけ特別なハンカチを持ちたかったことから、彼女の進言でフランス王国ルイ16世が「ハンカチは全て正方形にすべし」という法令を布告させました。

それによって国民に正方形のハンカチが世に広まったとされていますが、いまではハンカチというと正方形が一般的ですね。

あくまでも逸話のひとつではありますが、私たちにも身近なアイテムにこんな裏話があると知るとロマンを感じますよね。

まとめ

マリー・アントワネットの肖像画から、当時のファッションについて考察しました。
派手で世間知らずなイメージばかりが先行しがちな彼女ですが、一方で純粋な面もあり、オシャレや娯楽に興味のある普通の女性だったという見方もあります。

当時の文献では曖昧な記述も多く、諸説あるとは思いますが、マリー・アントワネットや18世紀フランスの宮廷文化を知るきっかけになれば幸いでございます。