「レースは、ひとりでは伝わらない」ダイアン・クライス氏から託された貴重なアンティークレース
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- 2026.07.14.
世界的なアンティークレース鑑定家であるダイアン・クライス氏と近沢レース店との交流はもう15年以上。長きにわたる交流の中で、ご披露くださった貴重なアンティークレースの数々。
テーブルに広げられた貴重なコレクションのなかから、「これを社長に」と託してくださった一枚がありました。
19世紀ベルギーで編まれた、メッヘレンレースのポシェ。ボビンレースの女王、と讃えられた最高峰のレースで仕立てられた、紳士のための小さな一枚です。
ダイアン氏からの贈り物として手渡されたその一枚に対して、二人が交わした言葉とともに、レースについて語られた様子をお届けいたします。
紳士の胸ポケットに、レースを
――改めて、ダイアンさんから社長へ手渡されたレースについて、教えてください。
ダイアン氏:19世紀のベルギーで編まれたレースを使った「ポシェ(Pochet)」と呼ばれるもの。日本では、ポケットチーフという呼び名のほうが、馴染みがあるかもしれませんね。
近澤:ポシェ。胸ポケットに納める、紳士のための一枚ですね。
ダイアン氏:そうなのです。19世紀に、男性のツーピーススーツが登場しました。それまでのハンカチは、もっと大きくて、女性も男性も日常で使うもの。
けれど男性のスーツが現代の形に近づいていくなかで、ハンカチは胸ポケットに収まるように、ずっと小さく仕立てられるようになりました。
近澤:ハンカチが、装いの一部になっていったのですね。
ダイアン氏:ええ。最初の頃のポシェは、すべて白でした。1920年代になると、色つきのものが流行していきますが、19世紀のものは、こうして真っ白なものが多いのです。
近澤:胸ポケットからほんの少しだけ覗かせて、装いの仕上げにする。本当に控えめだけれど、最高のものを選ぶ。そのような美意識を感じます。
ボビンレースの女王、メッヘレン
近澤:ダイアンさん、これはボビンレースでしょう?
ダイアン氏:そう、ボビンレースです。よくお気づきになりましたね。
1本のボビンに、1本の糸を巻いて。それを「ペア」、つまり2本で1組にして、パターンの上に並べていくのです。レースが繊細であればあるほど、ピロー(織り台)の上のボビンの数が増えていくのですよ。
近澤:何本くらいになるのですか?
ダイアン氏:腕の良い職人になると、数百本ものボビンを操ります。それを「クロス」と「ツイスト」という2つの動きで、丁寧に交差させていく。気の遠くなるような作業ですよ。
近澤:このレースは、どこのものですか?
ダイアン氏:ベルギーのメッヘレン(Mechelen)という街で編まれたものです。フランス語ではマリーヌ(Malines)、英語ではメッヘリン(Mechlin)と呼ばれます。
近澤:メッヘレン。
ダイアン氏:ベルギー北部、フランドル地方の街ですね。そこで編まれるレースは、絹のように艶やかな地と、繊細な花柄、そしてギンプ(輪郭糸)で縁取られた図柄が特徴です。「ボビンレースの女王」と讃えられた、最高峰のレースなのですよ。
近澤:女王。それはすごいですね。
ダイアン氏:はい。17世紀から18世紀にかけて、メッヘレンレースはヨーロッパの宮廷で愛されました。なかでも、フランス王妃マリー・アントワネットがメッヘレンレースを好んだことはよく知られています。
メッヘレンレースは、彼女が愛したモスリンのドレスに劣らぬほど繊細でした。流行の最先端を行く彼女が身につけたことで、ヨーロッパじゅうの王侯貴族がこぞってそれに倣ったのです。
近澤:それほどのレースが、男性の胸ポケットの一枚にも惜しみなく使われているのですね。
ダイアン氏:19世紀になって、レースは少しずつ衰退していきます。機械で作るレースが現れて、手仕事の最高峰のものを支えていた人たちが、だんだんといなくなる。だからこのポシェは、メッヘレンレースが最後の輝きを見せていた時代の、貴重な一枚なのです。
近澤:女王と讃えられたレースが、最後の輝きを宿した一枚。当時の紳士たちが、いかに装いに心を砕いていたかが、伝わってきますね。

受け継がれるレースの物語
――ダイアン氏からの素敵な贈り物。社長はどう感じられましたか。
近澤:いや、これはもう・・・すごいものです。「身につけてください」とダイアンさんはおっしゃってくださったのですが、貴重すぎて、とても私の胸ポケットにはおさまりません。いまも手に持っているだけで手汗をかきそうで(笑)
ダイアン氏:大丈夫、近澤さんなら安心してお渡しできます。
近澤:本当ですか?
ダイアン氏:もちろん。
近澤:ありがとうございます。お預かりするような気持ちで、大切にいたします。
ダイアンさんとお仕事を始めてから、もう15年以上。お会いするたびに、新しいレースとの出会いがあって、新しい物語を教えていただきました。
今日また、こうして素晴らしい一枚を頂戴しまして・・・また私が知らないレースの魅力に触れることができました。
ダイアン氏:レースは、ひとりでは伝わらないのです。誰かが受け取って、誰かに伝えていく。その繰り返しで、物語が次の時代へと続いていく。近澤さんは、私にとって、その大切な「橋」を架けてくださる方です。だから、このポシェも、安心してお贈りできました。
最後に
19世紀のベルギー・メッヘレンの街で、ひとりの職人がボビンを操り、繊細な花柄を編んでいた光景。それを胸ポケットに納めて、社交の場へと向かった、名もなき紳士。「ボビンレースの女王」と讃えられた最高峰の技術が、こんな小さな一枚のなかに、すべて込められている。
ダイアン氏から近澤の手へと渡ったポシェは、いま、新しい章を迎えました。いつかまた、店頭やイベントの折に、皆さまにもお目にかけられる機会があるかもしれません。
もしそのときがありましたら、どうかこの小さな布のなかに織り込まれた、長い長い物語にも、思いを寄せていただけたら幸いでございます。
取材当日は、ほかにもダイアン氏が所蔵しているコレクションの一部をご紹介いただきました。
今後、一枚のハンカチに込められた豊かな物語を、ダイアン氏の解説とともに、ゆっくりと紐解いていく予定です。どうぞお楽しみに。