私と近沢レース店 番外編「私たちのレースで、夢を感じたり、心にゆとりを感じていただけるお手伝いをしたい」——代表取締役社長 近澤 弘明氏 ロングインタビュー

代表取締役社長 近澤 弘明氏

明治34年(1901年)に開業した近沢レース店は、2021年に120周年を迎えました。120年という大きな節目を迎えることができたのも、ひとえに当社をご愛顧くださった皆さまのおかげでございます。
120周年を迎えた2021年は、皆さまへ感謝の気持ちを込めて、120周年記念ハンカチの販売や記念企画などを行いました。

今回は、120周年記念企画として行った、代表取締社長・近澤 弘明氏へのロングインタビューを公開いたします。

——創業120周年を迎えられた、今のお気持ちをお聞かせください。

29歳の時に社長を継いでから43年目ですが、よく続いたなという気持ちです。商売は同じことを続けていても長く続けられるということでもないのです。コロナなどの時代の変化によくついてこられたなという気持ちです。

——社長が3代目の社長になられたのは42年前、20代の頃だったとお聞きしました。
当時の近沢レース店はどのような様子だったのでしょうか。

私が社長に就任する10年ほど前(1969年/昭和40年頃)、先代である父が横浜元町商店街の理事長をやっていた頃のことなのですが、商店街のPRとして全国の百貨店で「チャーミングセール」という催しを行っている時期がありました。
そこで、当店の売れ行きに注目してくださった百貨店に出店のお声がけいただいて、続々出店するという運びになりました。

当時はいわゆる高度経済成長の時代で、お客様の購買意欲もとても強い時期でした。
私が社長に就任した1979年は、ほとんどが香港経由の中国で作られたハンドメイドレースを販売していました。「レース」というと、自分の手で作っていたお客様も多く、近沢レース店の商品をご覧になって「こんなに手間がかかっているのに、安すぎる」というお叱りの言葉を受けることもありました。
だんだん「自分で作るより、手がかかっている」、「進物にも良い」ということで人気が出始めたような、そんな時代でした。

——社長になる以前の、店長時代のことを教えてください。

昭和49年(1974年)には渋谷PARCOができまして、入り口近くの1階に出店場所をいただきました。
私が初代店長を務めたのですが、そのおかげで東京のお客様にも近沢レース店をご存知いただけるようになりました。

当時のパルコの社長(前・増田 通二会長)は、私に「PARCOのイメージは『横浜元町商店街』だ」とおっしゃいました。横浜元町の並びや売っているものを、ビルに並べたらどうなるんだろう?という発想からできたのがPARCOだよ、と。

——渋谷PARCO店の初代店長になって、いかがでしたか?

当時はてんてこまいでした(笑)
その頃のお店は今と違い「お客様のご要望に沿う商品をいかに取り揃えておくか」が重要な時代でした。在庫を切らさないで、何がいつ入荷するか。そんなことを精一杯やっていた時代でしたね。

——当時の商品は今の近沢レース店の商品と違うのでしょうか。

はい。1978年頃の近沢レース店の商品の特徴は、テーブルクロスなどのインテリア中心で「ハンドメイドであること」、「天然素材であること」です。

もともと祖母(初代・近澤つる)が始めた店は「リネンストアー」という形態の店で、山手の外国人居留区に住んでいらっしゃるお客様向けに、オーダーメイドで生活の身の回りの麻製品を作って納めていました。
「ハウスリネン」といわれる、テーブルクロスやシーツ、ハンカチなどが主流でした。
外国人のお客様のご要望に応じ、家紋の刺繍やレースの装飾を施したことが好評になり、次第にレース専門店になっていくわけです。
レース自体は輸入ものもあったようですが、静岡や新潟の国内で作られたレースも扱っていました。

戦後になって、オーダーメイド市場から既製品市場に代わってきますので、より品質の良いレースや刺繍を探し求め、香港経由で中国レースに出会うわけです。

一口にレースといっても、さまざまな技法があり、それぞれ産地が違います。
私の代になってからは、直接中国に入って、日本人があまり足を踏み入れない地域を開拓していきました。
1年中、中国で冒険していました(笑)

代表取締役社長 近澤 弘明氏

——それからは、レースをずっと主力商品としているのは変わらないのですね。

はい。1979年頃は「ギフト」が重要視されていた時代で、百貨店が栄えたひとつの理由として「ギフト商品」を売っていたことが大きいんですね。

近沢レース店も含まれる「インテリア商品」は、そのギフトマーケットに対応していて、シーツやタオルなど、ギフトに使える商品がインテリアフロアにずらっと並んでいました。その中で、レースのアイテムはギフト価格帯3~5千円で「贈られた側が価格よりも素敵だと思ってもらえる」お品物として、とても適していたのだと思います。

とはいえ、同じデザインを10年間売り続けるわけにいかないので、レースの種類やデザインを変えたりしながら、より新鮮な気持ちでお買い物していただけるにはどうしたら良いかを常に考えていました。

——社長に就任されてから2021年までの間に、
 時代とともに変わったと思われるものはなんですか?

「家事にかける時間が大幅に減った」こと。これが一番大きいことじゃないでしょうか。先ほども申し上げたように、私が社長になった1978年頃は、レースを含む家の中の装飾品は手作りする時代だったわけで、それは当時の主婦にとっては普通のことだったのです。
それを、私達が取り上げた形になるのですけれど(笑)。

——逆に、時代が変わっても、「変わらないこと」はなんだと思われますか。

難しい質問ですね・・・(笑)
時が過ぎることは常に変化することだと思っているのですが。

あえて言うならば「お客様の気持ちを豊かにすることを目指す」、近沢レース店があるかぎり変わらないことです。

お客様に満足いただけない限りは、商売が成り立ちませんので「私たちが作った商品がお客様に届いて、喜んでいただけているかどうか」。それが変わらない、大事なことだと思っています。

モノ(商品)自体ももちろん大事なのですが、モノに課せられたもっと大事なこととは、「気持ち」の間を取り持つためのツールであるということです。

「近沢レース店」と「お客様」の気持ち。あるいはその先の「お客様」から「お客様が贈られた方」にモノが渡った時の気持ち・・・
その気持ちが通じることが満足であり、微笑みを生むような雰囲気を作っていければ、それは店として長続きすると思います。そして店が長くあり続けるために何を変え、何を変えないでいくかを選びとることが、大事なことだと思っています。

——時代の変化を受けて、近沢レース店が「変わった」と感じた、
印象的なエピソードはありますか。

まだ私が子どもの頃の話ですけれども、近沢レース店は夏に「麻の開襟ブラウス」がよく売れていたんです。その頃はエアコンもないですし、まだ戦後の日本がそこまで豊かではなかったですから、女性は通気性の良い麻100%で襟の詰まっていない、前身頃には刺繍やレースを施したデザインの麻ブラウスを当たり前のように着ておりました。

近沢レース店にもミシンの縫製職人さんが2人おりまして、店の奥で一生懸命ブラウスを作っていた、そんな時代でした。

ところが昭和47~49年くらいに「香港ブラウス」という中国製の服が香港経由で日本にどっと入ってきたんです。
香港ブラウスの値段は近沢レース店の半額くらいでした。値段が安いのは作り方が違うからなのですけれど、刺繍や袖部分は凝っているブラウスでした。それで国産のブラウスを作るのはやめることになったのです。

その後、「香港ブラウス」を当店でも扱うようになりましたが、そのうちエアコンが普及して麻ブラウス自体を着る方も少なくなってきて、衣料品を一旦やめたこともありました。最近は、また衣料品を再開して、麻ブラウスも作っておりますね。

——近沢レース店で扱う商品も、どんどん変わり続けているのですね。

はい。商品そのものの流れは、時代とともに変わり続けていきます。変わる、というか・・・お客様のニーズを掴みきれなければ変われないわけですよね。

お客様はニーズをほとんど仰らない。言ってくださらないわけです。気に入れば買っていただけますが、「これはいかがですか」とお薦めしたとしても、お気に召さなければお買い上げいただけない。

むしろお客様が何を望んでいらっしゃるか、ご当人も知らないわけです。ご自分で気づかれてもいなかったニーズを、いかに掴むか。それが今の世の中は一番難しいと、そう思います。

代表取締役社長 近澤 弘明氏

——最近は「お寿司」や「おにぎり」のハンカチなど、
ユーモアな商品を販売されておりますが、どのようなお考えからでしょうか。

ストーリーが生まれるような商品が作りたいと思ったからです。
ギフトになさるにしても、ご自分で使うにしても、ある意味「お寿司」や「おにぎり」のレースハンカチは、人と人の間にある「コミュニケーションツール」ですから、この商品を使う・渡すときには誰かとお話をするわけですよね。

「近沢でこんなの買ってきたの、いいでしょ?」と言ってくださるような商品を作らなくちゃいけない。そして贈られた人からも「これは楽しい、素敵ね、どこで買ってきたの?」となるためには、ストーリーになるような商品でなければならないと思っています。

今までと変わらない近沢レース店の商品で「近沢レース店?10年も20年も前から同じよね。もう知ってるわよ。」と言われてしまうと、ストーリーにはならなくなってしまう。
なので、常に変化を生み出しながら、コミュニケーションが生まれるような、ときにはある意味洒落の効いた商品も作っていきたいと思います。

例えば「お寿司」のハンカチは、「お寿司屋さんに持っていって自慢してこよう」と思ってくだされば、しめたもの。お弁当を食べるときに「おにぎり」のハンカチを使ってくだされば、一緒にいた方が「素敵ね、わたしも買おうかしら?」と思ってくださるかもしれない。そういうことにつながっていく。

まあ、行き過ぎると毛嫌いされてしまうので(笑)、そのラインを決めるのが、難しいと思いますね。

——レースのデザインの変化についてはどうお考えですか。

ハンドメイドのレースがこの20年でほとんど作れなくなったことで、商品の大半が機械レースになっています。
それに伴って、より再現性の高く、色彩が豊かなデザインが多くなったと感じています。

中国でハンドメイドのレースを作っていた時は、現地で提案されるのは「菊」や「蓮」のモチーフが多かったのですが、「バラ」だったり、「チューリップ」のデザインではどうなるのか、ということを散々やっていましたね。
そのようなことをして、最終的に20~30名のデザイナーが新しいレースのサンプルを持ってきてくれるわけです。そして私が「ここがよくない」とか、「ここが前と変わらないから変えて欲しいと」どんどん指示を出して、それについてこられたデザイナーは、中国じゅうでも何千人の中で、10名くらいでした。当時はインターネットもなく、情報や知識がないから、現地のデザイナーには、こちらの言っていることがほとんどご理解いただけなかったのです。
現場でデザインの指導や、修正を行っていたのですが限界を感じ、社内でデザインを起こし、工場へ発注する方法に切り替えました。

そういったデザインを創る努力をずっとし続けていく中で、長らくレースのモチーフは「花」がメインだったわけですけれども、どうやら「花」のレースだけではやっていけないという時代になったときに、このような「お寿司」や「おにぎり」などのレースを少しづつ作り始めたわけです。

この商品を初めて見た時のお客様は非常に驚いて、喜んでくだいました。「楽しい」、「かわいい」という反応をたくさんいただきました。

女性の持つ「かわいい」というニュアンスにどう響くか。
これが私の中で長年のテーマだったのです。「素敵ね」、「綺麗ね」という反応を貰った時は、「かわいい」ほどは買いたいとは思っていただけていないと思います。

——確かに「かわいい」は、色々な意味がありますよね。

そうです。だからこの「お寿司レース」、「おにぎりレース」を「かわいい」とおっしゃる方もいる。時代に合わせて「かわいい」の意味も変わってきていると感じます。
一昔前にこのレースを作ったらバカにされていたかもしれません。「あなた何をやっているの?」って(笑)。

代表取締役社長 近澤 弘明氏

——次の10年に向けてチャレンジしたいことはなんでしょうか。

新しいジャンルの商品をどんどん作ってゆきたいです。
マスクは最近の商品ですが、麻の日傘やミニタオルハンカチも割と最近で、十数年前に始めたのです。
私たちのものづくりのコンセプトとは、「機能を大事にすること」、「品質の良いものを作る」ことです。世界各国から最適なところを選んで製品を作っていきたいと思います。

私共の麻の日傘は、リトアニアで麻生地を織り、ベトナムや中国でレースを作り、京都で昔ながらの製法で職人さんが1本、1本丁寧に組み立てて作られています。世界を3/4周して、近沢レース店の日傘は「この値段」で「この品質」ができているのです。

最適な場所と値段で製品を作り続けることにこだわり続けて、この先の10年新しいアイテムを「どうやって作るか」を考えていくことも、大事なことだと思っています。
日傘は、七輪で熱を加えながら生地をピーンと張っていました(現在はスチーム機を使用)。これには職人の技術力が必要なのです。

ミニタオルハンカチもそうです。今治の生地を使っているものは、お願いしている工場1社のみしか織り上げることができない秘伝のレシピですし、レース縫製も一見簡単に見えますが、四隅を囲んで、浮かないように縫製するには大変なのです。
職人の技術力が必要で、岡山の職人さんに頼んでいます。そういった品質にこだわりたいと思っています。そのためには、ありとあらゆる地域、工場を探して、最適な価格で作る。ということを大事にしていきたいと思っています。

こだわりの結晶は、機能性にも表れています。
麻日傘は優雅であることはもちろん、炎天下でさしていただくと木陰に入ったような涼しさなんです。
ミニタオルハンカチもレースがあることで、型崩れしずらく、洗濯機で洗ってお手入れしていただけるほど丈夫です。

——コロナ禍についてはどのようにお考えですか。

すっかりマーケットが変わってしまいましたね。
今までで一番、近沢レース店の存在意義を見つめ直す時間でした。
暗いニュースが続く中、レースでお客様を癒して差し上げたいのに、直営店では、休業、時間短縮でお客様との接点が減ってしまう。
そのため、SNSを中心とする情報配信に力を入れたことで、オンラインショップにいらしていただけるお客様は増えました。
オンラインショップには手軽である良さと、一方で、お客様と直接対面できないデメリットもあります。今後はそのあたりをどうやって最適化できるかを、挑戦してゆく10年にもなるかと思います。

また、コロナ禍で皆様に少しでも華やかな気持ちになっていただこうとマスクの販売を始めましたが、これをきっかけに初めて近沢レース店をご利用になってくださったお客様も多いようで、とても嬉しいことだと思います。

代表取締役社長 近澤 弘明氏

——最後に、お客様へのメッセージをお願いいたします。

近沢レース店のものづくりのコンセプトは「夢とゆとり」です。

レースはそれ自体が主役ではなく、なにかと融合することで真価を発揮します。私たちのレースを生活の中に取り入れていただくことで、夢を感じたり、生活の中で心にゆとりを感じていただいたりということなんです。
昨今の大変な時代の中でも、そういった気持ちを失わないように、お手伝いできたらいいなと思っております。

みなさまにレースを通して、華やかな変化をもたらせるよう、社員一同頑張っていきます。